ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

日の高さと気分の波

昨日の診察とそれに伴う思考でかなり疲れてしまったみたいで、今日はぼんやりな一日だった

女子のカーリングの世界選手権が始まったから録画を見たり、地元サッカーチームの試合中継を見たり、スポーツを見ていたら一日が終わったな

結構前から気づいていたけど、太陽の位置(高さ)と気分が見事に連動していてとても分かりやすい状態になっている

南中の高さまで行く午前中は気分が良いとかわりかしマシで、夕方に向かっていくとどんどん気分が落ちていく

13時を過ぎたらもう危ない

あー落ちてきたーと感じ始めて、なんもする気になんないやとかなにやってもダメだと言う気分になりやすい

明らかに日が傾いてきたらかなりしんどくなる

これは夜に向かっているから気分が落ちているんだと自覚があるのに、それでもコントロールが効かなくてどかんと落っこちることもしょっちゅうある

 

いつも18時、19時台にこのブログを書いているから、落ちてきてフラフラしているか落ち切って開き直っているかどっちかの状態で、情緒不安定な内容をお届けしてしまっているなあとは思っている

仮に午前中に書いたとしたら別人か?と思われるかもしれないな

しかしながら気分が良い時間帯に書こうとは思わんのだな

他に済ませておきたいことがあるしな

しんどい気持ちに整理をつけるためにブログを書くという役割もあるから、一日の終わり頃に書くのは変わらないだろう

 

考えているのは夕食後のルーティンをどうするかである

気分が落ちている状態で決めたルーティンに取りかかるのがかなりハードだと感じている

一旦始めたらすんなり最後まで行くけど、始まるまでの腰の重さと気分の重さよ

自分を安心させるためのルーティンワークであるからやめたくはないけど、もう少し早めの時間に終わらせるほうがいいのか

夜がまったくの空白になってしまうと、だらだらとネガティブを引きずって寝るタイミングとか見失ってしまうかなという懸念もある

時間を早めるのを試してみればいいのに夕方はだいたい気分が低空飛行で墜落寸前みたいな感じで、そのことに気が回らないんだよね

ってことは今のまま重い腰をなんとか上げてルーティンをこなして、気持ちを落ち着けて眠れるほうがいいのか

入浴という最大の壁が最後に待ち受けているけど、そこは毎日完璧じゃなくてもいいと思えるとラクになりそうだなあ

 

日曜日、掃除の日

そこは今週もクリアした

なんだろ、今朝はほんと絶好調って感じだったのに結局暗くなると不安になってしまう

そんなもんかあと受け入れるしかないかなあ

朝になったら多分また少し良くなる

サーキュレーターの音がメンタルにくる

診察日

やけくそなのか、疲れ切っているのか、診察に行く私を演じられなくて、思っていることを正直に話してしまった

本来、それは主治医と信頼関係を築くいい方法だと思うけど?

中学生の頃のことを思い返してしんどいという話をする

主治医がかなり本気で聞いてくれて意外だった

しんどい気持ちになるのは、とてもつらい思いをして身体も心もボロボロになったのにどうしてそのとき自分の正体がわからなかったんだろうかと、自分や周りを責めるような思いになるからだと説明した

冷静に考えて当時の状況で自分がASDであるとわかるのは無理だっただろうと思うし、主治医も仮に私が感じている違和感を訴えたところで専門家にもわからなかったと思うと言っていた

それをしかたないと納得するには現状の生きづらさがもう少し緩和されないと難しいねという結論になる

過去のつらさが今に繋がっていて、今が改善されたら過去のことも捉え方が変わるかもしれない

 

心理士さんとは別の話

私は他人からの評価にばかりこだわっていると指摘された

自分の力をその通りに信じられないと言ったら、自分の力と言っているのは他者から評価されている部分だろうとのこと

それを信じられない自分を責めて苦しんでいるってことかな

他者からの評価によって動くことが必要なときもあるけど、そればかりに偏っていたらラクになることはないと言っていた

その意味はわかる

自分が自分のことをこういうものだと認めるとか受け入れるとか納得するとか、自分自身がこれでいいんだと思う軸も必要だそう

それもわかるけど

自分はなにをやってもすぐにダメなところを見つけてぜんぜんうまくいかないと思っているのを、そのままそれが自分だよねと思えばいいらしい

つまり自信がないのが自分だと受け入れたらいいってことか

ここまでは理解した

 

自信がなくてなにをやってもダメだと思うのが自分だと受け入れて、じゃあそれで社会でやっていけますか

他者からの評価をもとに動くことが必要なときもあるって言うけど、仕事なんかまさにそれではないの

仕事っていうか今の自分だと就活かな

自分ではなにもできないと思っているけど、心理士さんも主治医もだいたいのことはできるとか、環境が合えば能力を発揮できるとか、できるできると言うのを受け入れて自分はできるんだと無理やり思って、本当は自信ないけど求人に応募して書類選考されたり面接受けたりするんか

そんなもん?

自信で満ち溢れた人ばかりではないというのはさすがにわかるけど、なにもできないと思っているところから自分を騙して虚勢を張って仕事を始めるものなのかな

そうなのかなあ

これはまだよくわかんない

心理士さんは時々だいたいの人はそうだよみたいなことを言葉の裏に隠して伝えてくるようなところがあるんだけど、それも自分が正しく読み取れているか怪しいからなんとも言えない

 

今日わかったことは、自分の人格が二つ三つ分かれているみたいに、能力の面でも自分が思っている自分と、他人から見た自分と二つあると思えばいいということかな

それがどう作用するかわからないけど、他人から見た自分でいなきゃいけないと神経を擦り減らす必要はないみたいだ

できないと思っている自分が自分だと認めてしまえばいい

他人が言っている自分のことは受け入れがたくても、そう見えるんだなあと思って自分像にストックしておくというかね、とりあえず置いておけば使えるときがあるかも

心理士さんに言われたのは自分の軸と他者の軸と両方を意識するのは私には難しいんだろうけど、どっちかに偏ったときに違う軸もあるよなと思い出してほしいということ

多分、視野を広くの一部だ

 

暖房を使わなくなってサーキュレーターで洗濯物を乾かしているのだけど、あの音はメンタルがやられますね

換気扇の音とか苦手だし当然と言えばそうだ

一日部屋にいるのが悪いとも言えるけど現状それしかないんで、サーキュレーター使う時間を減らして、ちょっと手間とお金がかかるけどコインランドリーを利用したほうが穏やかに過ごせるとわかった

わかってよかったじゃん

お金がないと言ったって快適に過ごすために使うことをためらっていたら、もっと健康を損なうと思うな

できるだけまとめて洗濯するようにすればいいんかな

いろいろ工夫してやらねばな

心理士さんが諦めない

電話で心理士さんと話した

明日も診察に行って話すけど、時間があったから電話してくれた

就活をがんばっているふりをしているだけだと正直に言った

もうやめようと諦めていると言った

やめてどうにかなるならしなくてもいいけど、だって

どうにかなるわけがない

実家に戻る選択を良しとするならどうにかなる可能性はあるけど、実家にいることがストレスでいろんな病気になった側面もあって、やっとの思いで一人暮らしをしているのに今さら戻ったってまた精神的におかしくなるだけである

しかも父親がもうすぐ定年退職で次に仕事をするのかどうか知らないけど、確実に家にいる時間が増えるだろうし、そんな状況の実家に戻るなんて狂気の沙汰である

そうしたら一人暮らしを続けなくてはならなくて、そのためには収入を得ないといけなくて、働くことを諦めたらどうしようもない

公的な制度を使ってもいいと思うけど(障害年金はもらっている)、それは最後の手段というかいろいろ壁があるし、心理士さんは反対してる

 

周りに人がいたら音も動きも会話もなにもかも気になってしまって自分の本来の能力が発揮できないという人は確実にいて、そんな人たちのための雇用を作ろうとしているところもあるんだと心理士さんが言っていた

だから私にも働ける場所があるはずみたいなことらしい

能力能力うるさいと思ってしまう自分は本当にひねくれている

かわいくない

客観的な事実として検査の結果が高い数値を出しているけど、それをまったくと言っていいほど有効に使えていないんだから意味がないと思う

能力が高いという事実が何にも発展しない

環境が合えばと言うけど、合う環境はどこにあるんかな

やってみないと分からないって主治医も心理士さんもしょっちゅう言うけど、やってみてだめで消耗するのは自分でしかなくて、そのサポートしてくれないじゃん

能力を活かして自分らしく生きてほしいと言ってくれるのはとても聞こえがよくてキラキラしているけど、そんなもの手に入らない高すぎる理想だ

最終的にやるかやらないか決めるのは自分で、いくらもったいないとかその選択肢はないとか言われてもやらなきゃ済む話なのに、諦めずにやっていきたいと言われたら諦めたらいけないのかと思ってしまう

 

この一年くらいで心理士さんの前でも良い子モードを出すようになってしまって、苦しみが増している

望まれていることをしなければと思う

能力を活かして自分らしく生きてほしいというのが心理士さんの願いならば、自分はその通りに生きるように意味わかんない努力もして身を削ってでもがんばらないといけないと思う

自分がない

自分がこうしたいというのがない

いや、あるけど

ぜんぶやめたいしぜんぶ諦めたいしぜんぶ投げ出して死ぬのを待ってたい

それが許されない

許される人はいないか、健康な人ならば

 

こんなこと書くつもりじゃなかったのにヒートアップしてしまった

消すのも違うし、だって本当のことだ

不安だからぜんぶのことに腹を立てているんだろうかね

否定されたくなくて良い子してる自分に嫌気がさしているのかも

いつも誰かにいい顔してないと生きられないのが情けない