ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

編み物、そして悪いのは?

年始から何年ぶりかわからないくらい久しぶりに編み物をしている

思いのほか手が覚えていてサクサク編めるし集中できるので、時間を過ごすのにちょうどいいなと思っている

ずっとなにをして時間を経過させるかが課題で、編み物もいつまで続くかはわからないけど、とりあえずしばらくはなんとかなりそうで少しほっとしている

ちょっと難しいくらいの作品を編むのがいいみたいで、出来上がりが失敗していてもそんなに気にならない

難しい編み図に取り組む過程が自分にとっては大事みたいだ

昨日の診察で自分の性格を評さなきゃいけなくて、完璧主義で怖がりと言ったけど、なんというか完璧にしなきゃいけない部分と適当でいい部分でかなり差があるなと思い直して、完璧主義と表すのは間違っていたかしらと考える

でも他人に見せる部分はほぼ完璧でなければいけないので、対外的には完璧主義でいいのかも

適当でいい部分は自分にだけわかる事柄が多い気がする

 

昨日、新しい病院に変わって、この数カ月あいまいでふわふわしていたものがやっと固まった気がして、少し気持ちが落ち着いた

ずっと考えていた、主治医も心理士さんもいつも私の状況において正しい対処を教えてくれるのに、それをわかっていても実行できない自分が全部悪いんだということ

例えば、ネガティブに考えつづけて落ち込みを深めてしまう時には、考える前に編み物でもスポーツ観戦でもヨガでもして考えないようにすればいいとか

そんなことはわかっていて、でも編み物もスポーツ観戦もヨガも一日のルーティンに組み込まれていて、その隙間の時間に考え込んだり、ルーティンを始める前に考え始めてなかなか取りかかれなかったりするから困っているわけで

でもやっぱり考えても仕方ないことを延々と考える自分が悪いのかなって思っていて

心理士さんにそのことを全部じゃないけど話したら、「あなただけが悪いんじゃない」と言われて、あれ?と思った

私がわかっていても正しいことができないのは、主治医にも心理士さんにも原因があって、それを改善するために考えるし、私ができないということに無力感を感じると言われてしまって

私だけが悪いんじゃないのかという安心と無力感を味わわせている申し訳なさと複雑な感情になった

その複雑な気持ちをすぐに言葉にできないのが自分なんだけど、もどかしい

病院にかかっている以上は主治医も心理士さんも考えて改善しなきゃいけないことらしいです

そうなのか

自分が悪いと思うのがラクなんだけどね

ラクだけど苦しい

 

今日は編み物ができて、考え過ぎずにすんだ

正しいことができた

正しいことだけで生活が構成されているのもなんか変だと思うけど、考え込んでひとりで落ち込んでヤケになるよりはいいのかな

 

今日も初めてのパン屋さんに行った

人気店みたいで人が並んでて驚いたけど、そんなに待たずに買えた

好みのハードパンを5つ買って、昼ごはんに全部食べちゃった

食費やばいかもしれないけど、本当に食べたいものを食べたいときに食べようという人生初の試みを始めている

そういう気持ちになれたのも、転院して新しく形が定まることがわかって安心したからかな

型が必要なんだよね

改めて知る自分の特性

ここ何年か自分のマニュアル作りがひとつの趣味みたいになってる

日常生活や診察でも役立つから実用的な趣味

今日はこのまま落ち着いて一日を終えられますように