ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

記憶の渦

自覚しているより中学時代の傷が深いことに気づいた

なんで20年も経って未だに当時の感情をまざまざと思いだすんだろう

思い出すというよりもそのまま体験している感覚だ

ずっと忘れることができない記憶ではあった

「自分」と「周り」に何か違いがある、馴染めないと気づいたのが中学時代だから

単に見た目の問題で、自分だけが制服のスカート丈が標準のままで長かったというのもある

本当に誇張でなく学年の中で唯一だった

もしかしたら3年間、学校のなかでも唯一だったかもしれない

本当は短くしたかった

めちゃくちゃに短くしたかったわけじゃない

ひざ丈くらい、だいたいの女の子がそうだったように

許してもらえなかった

その前に言い出せなかった

言える雰囲気じゃなかった

大根みたいな脚って言われた、母親に

それでスカートを短くしたらいけないんだって思った

とっても傷ついたのにその気持ちに蓋をして、スカートが長い自分を個性にした

見た目だけじゃなくて、女の子の派閥とか分からなくて居場所がなくて、みんなとは違うのが自分なんだ、それがいいんだと思い込んだ

なんで違うのかはわかってなかった

なんでみんなみたいにできないのか全然わからなくて学校は怖かった

一度休んだら二度と通えなくなると思ってなにがなんでも登校した

幼いころから周りのことをよく見ていると大人に言われてきたけど、観察して把握していないと恐ろしいからだ

周りがどういう状況でどう動いているかわからないとその場にいられない

自分が違うこと、きっと幼いころにすでに無意識に感じてたんだろう

 

学校で居場所がないなら勉強を頑張るしかなかった

勉強は好きだったし、もともと得意だったしそれ自体が苦痛ではなかったけど

はっきり覚えていることがある

初めて定期テストで5教科500点満点をとった時

母親に「出来過ぎ」と言われた

ショックだった

もうなにをしたら認めてもらえるのかわからなくなった

でも勉強をやめることはできなくて、学年トップでいることに固執した

誰に褒められるわけでもないのに

自分を保つため、学校に行く意味はそれしかなかった

もうひとつ覚えていること

中学3年生の2学期の理科のテスト

担当教諭が「絶対に100点をとれない問題にした」と言ったテストで満点をとった

たまたま勉強した応用問題がそのまま出ただけだったから解けてしまった

答案返却のときに担当教諭に舌打ちされた

怖かった

してはいけないことをしたんだと思った

勉強をがんばっても良い子でいられない

誰にも認めてもらえない

なにをしたらいいのかわからなくなった

すべてが怖かった

こんな世界にいられない、死にたいと思ったのはそのころだ

それからずっと死にたいは自分のそばにある

死にたい自分が標準装備みたいになっている

 

誕生日のころから調子は悪かった

この2週間、嫌な記憶に支配されて身動きがとれない

もう20年も前のことに今の自分が飲み込まれてバカみたいだと思うのにどうしようもない

主治医に相談したら眠ってしのぐしかないと言われた

なんか悲しかった

この数カ月、「しのぐ」とか「やり過ごす」とかばかり言われる

いつまでそれをするの?

いつまでしのげばラクになるの?

そんなこと考えたって仕方ない

今をやり過ごすしかないとわかっている

だけど、そんなことした先になにがあるのか

ただ死に向かうだけ

それなら早く終わらせたいと願うのはいけないことなんだろうか