ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

自覚までの時差

他人の気持ちをわかるというのがとても難しい

幼い頃から読書が好きであったことと、周りの大人の顔色をうかがうばかりしてきたことで、想像する努力はできているかもしれない

想像が的外れなことは往々にしてあるが

 

この度、自分の気持ちを自覚することも大変難しいことに気付いた

気持ちというか本当はどう感じているかというか

傷ついた・ショックを受けた時にそのことに気付かず、十年以上経ってとか、数年経ってとかしてから自覚するようだ

 

中学時代に、上履きを隠されたとか、自転車のタイヤをしょっちゅうパンクさせられていたとか、陰口を言われてるとか、日常的にあったんだけど

当時はいじめとか全然感じてなかった

これが「ふつう」なんだろうとか

反対に「私がふつうではないからこういうことをされて当たり前」とか

最初はやり返してやるとかも思ったけど、めんどくさかったし(だいたい他人の上履きに触れない)だんだん放置するようになっていて

エスカレートすることもなくただ続いていて

それが中三で爆発して拒食になった

原因はいじめと思わしき扱いを受けたことだけではないからなんとも言えないが

27歳の夏に自殺未遂で入院して、自閉症スペクトラム障害双極性障害と診断されてからようやく当時傷ついていたことを自覚した

傷ついたことって隠したいものだろうか

認めてしまったらそこで終了と思っている節がないだろうか、自分

 

昨夜、2年前の出来事がフラッシュバックとして襲ってきて、初めてその出来事で自分は大きな傷を負ったと知った

昨日までは忘れたいけど忘れられない出来事で、でもどちらかというとハッピーなことの部類に入ると思い込んでいたのだが

まだ詳しく文章にできるほど気持ちに整理はついていないので今日は書かない

ひとつ思い知ったのは「相手の言葉を額面通りに受け取っている」という事実

ASDの特性として挙げられることだけど、自分自身についてはあまりピンときてなくて

ようやく自覚した

自分もしっかり額面通りに言葉を受け取って、それで傷ついてきた

自覚したから工夫して傷つくのを減らしたいけれど、昨日の今日でそんなすぐ立ち直れてない

自覚するのに時差があるなあとぼんやり思い出していただけの一日