ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

可能性を奪う

昨日の心理士さんとの面談で

今までのやり方ではあなたの可能性を奪うことになっていたのかもしれない

と言われた

基本的に自分は言われたことに対して即レスというものができないため、今朝になってようやく可能性を奪うとはなんのことだろうかと考え始めた

 

27歳でASD双極性障害を診断されるまでは、摂食障害とか鬱とか色々あったけれど「ふつう」でなければならないと思って生きていた

大学に入ったのも「ふつう」の道に戻るため

アルバイトや正社員として働いていたのも「ふつう」の道を歩くため

けれど「ふつう」と言われる道は、自分にとっては命を削って努力しなければ歩けない道だった

そのことを27歳の診断で知った

その後の約4年半は「自分なり」の道を探してきたはずだったのだが

 

実家を出て一人暮らしを始めた

在宅ワークで少しだけ収入を得るようになった

一か月だけパン屋でアルバイトをした

一人暮らしは現在も続いているが、仕事に関してはうまくいかないことが多くて、かれこれ半年はなにもしていない

探すことはあるが、応募に至らない

 

「この職に求められている要件を満たしていない」

「報告・連絡・相談なんてできない」

「またブラックな案件をつかまされるかも」

「自分にはできることがない」

 

「自分なり」が「なにもできない」になってしまったということか

それが可能性を奪うということ?

なにもできないと思い込んでいる自覚はある

思い込むようになってしまったことが「可能性を奪われた」ってこと?

この事態に陥ったのは4年半のことだけじゃない

今までの経験すべてから「自分にはなにもできない」と結論づけている

今までのやり方がよくなかったと言うなら、どうしていればよかったのか

問題が生じて躓いたとき、すぐに撤退していたのがよくなかったのか

自分で考えて決めていたようで、実は言われるがままに動いていたからか

わからないけど

 

「自分なり」の道は先を行く人がいない

見通しが立たない道だから、自分の性質からすると困難の連続

まずゴールがわからない

ゴールがわからないままでは何も始められないのが自分

ゴールを明確にしないまま漠然とした「自分なり」を始めたのがそもそも間違いだったのだろうか

なにも変わっていないと感じるのは、スタートしていなかったからなのか

 

考えてみたけれど、どうやらこれから方向転換していかないといけないようだ

かなり途方に暮れる

正直、「自分にはなにもできない」から、今さら新しいことなんて嫌なのだ

無理無理無理無理と脳が拒否する

これが「可能性を奪う」ってことか?

え?

どっからやり直すのこれ

自分で考え始めておいてこんなことを言うのは憚られるが

絶望