ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

貢献とはなにか

生活リズムは夕方に帳尻を合わせたのでいいことにする

結局深夜の試合は見て3時を過ぎて寝た

昨夜は絶対興奮しすぎていて、脳のスイッチがおかしくなっていたんだと思う

今日はたくさん昼寝をした

夕方からはなんとなくペースを取り戻してきて明日に向けて準備ができそうな感じ

連休の過ごし方にまだ苦戦している

 

やることがないから考えてしまうのはわかっているんだけど、考えるのは止められない

最近やたら「貢献」という言葉に引っかかっている

貢献ってよくわからないのです

社会に貢献とか会社に貢献とか言うけど、あんまりピンとこない

具体的に自分の今の仕事で考えたら、美味しくて見た目も綺麗なサンドイッチを作るのはお客さんへの貢献だろうし、それで評判が上がれば会社に貢献ってことになると思う

仕事を覚えてできることが増えれば、スタッフさんやメンバーさんの負担が減ってそれも会社への貢献なのかな

想像は一応できるんだけど、そのために仕事をしているかって言われると違う

評判とか一緒に働いている人のためとかそういうの考えてなくて、自分がもらった仕事をいかに丁寧かつ速くできるかが大事なんだよなあ

自分のした仕事の結果をあんまり考えてないのかな

している過程が重要

なんでこんなことを考えるかっていうと、貢献することを理解している人は生きる目的とかで悩まないみたいな趣旨の文章を読んだから

自分はすぐ生きるのが嫌になるし、生活も投げ出したくなるし、そもそも人生で成し遂げたいこともないし、貢献について考えてしまった

四六時中悩んでいたわけではないけど、落ち込むくらいには考えた

結果わからないものはわからないから諦めようとなりました

特性なのか性格なのかただ頭が悪いのか知らないけど、集団というものが理解できないからしかたないかなとか言い訳してみる

家族もクラスも会社も社会もわからないし、その集団のなかの自分というのが曖昧でどう関わればいいのかもわからない

職場に居づらいとか思うのもそれが関係していそうな気はする

わからないものに貢献するなんて意味不明なのでやめよう

しょっちゅう生きるの嫌だとかしんどいとかもうやめてやるとか思いながら生きればいいじゃんと思った

思うことにした

できないことを無理にしなくてもいいんじゃないの

基本的に自分のことしか考えてないんだということがわかったから、人と接するときとか気をつけないといけないかなとも思った

 

考えないですむくらい楽しめるもので、家でできることってなにかな

編み物が好きだけど作ったらどんどんモノが増えるのが嫌だとか言ってる場合じゃないかな

考えて生活を乱すくらいならモノが増えるほうがマシか

どうなんだろうな

生活リズムはもうちょっと整えていかないといけないね