診察日
雪にはならなかったが冷たい雨が降った今朝
電車が運休することもなく2週間ぶりの診察に行った
ないものねだりとか言ったけど、「大丈夫」と思われているのがストレスになっているみたいで、その話を主治医にした
家でどんな過ごし方をしてるかは置いておいて、平日は休まず出勤して、土曜日は診察に行って、それをこなせていれば大丈夫だと思われているみたいで嫌だと言ってみた
主治医はそんなことは思っていないと言っていた
ギリギリのところでいつもやっているし、しんどいことが重なっていつ苦しい波にのまれるかわからない綱渡りの状態だとわかっていると
そうかって思った
前回の診察でかけられた言葉がきっかけで、主治医も表面しか見てないのかなあとか一方的に考えていたけれど、多分自分の視野が狭くなっていたんだろうな
主治医がわかってくれているのはいいけど、職場の人はそうではないと思う
これに関してはちょっと諦め気味
心理士さんとは3週間ぶりに会って話した
久しぶりに会えたのに私の調子が落ち気味で、なんか申し訳ない気持ち
仕事の話になったら嫌なことばかり言い募って、辞めたい気持ちが強くなるかと思って避けようとしたけど、調子が落ちている原因が仕事にあるから無理だった
仕事初めの日にサビ管さんとスタッフさんと話し合いをする場があったんだけど、そこでこの人たちに自分の特性とか見えている世界を理解してもらうのは根本的に無理だと思わされることを言われて、ひとりで諦めモードに入っていて
話し合いの件はサビ管さんから心理士さんに連絡がいっていて、心配されていたもよう
問題になるのはいつも「私が聞こえすぎていること」だ
聴覚過敏と、ぜんぶの音が同じ大きさで聞こえるから必要な情報を選び取るのに労力がいること
自分には関係のない会話でもぜんぶ自分に向かっているように脳が受け取るから、他の人が言われている言葉で感情が乱れること
聴覚過敏もなかなかわかりづらい状態だと思うんだけど、自分に関係ない話が聞こえて感情が乱れるっていうのはもっと意味がわからないだろうと思う
話し合いでは聞こえてくるのがしんどいんだと言ったら「聞き流せないの?」と言われて、ああもうこれはだめだと思った
聞き流すとかその会話をしている当人同士ではなんの問題も起きていないとか、そういうレベルの話ではない
聞こえてくる情報はぜんぶ自分に向かってくるのである
実際は自分に向けられた言葉でなくても、音が入ってきたらもう自分に向けられたものになる
だから”自分が”悲しくなったりイライラしたり落ち込んだりする
これを一から説明するのは大変だし、そこまでしてわかってもらわなくていいやと諦めた
我慢するのがいいのかって思った
それを心理士さんに言ったら、我慢するにも限界があるし、そういう説明が難しいことを間に入って伝えていくのが僕の役割だからと返された
自分でも我慢できることではないとどこかでわかっていたし、心理士さんがそう言うなら助けてもらおうかと思い直したけど、職場の対応はすぐには変わらないだろうね
心理士さんが私の聞こえ方の説明をしてくれたときに、「聞こえてくる情報から必要なものをオートマチックに選び取れない」と言っていたのが気になっている
定型発達の脳は、オートマチックに必要な音声を選んでいるんですか
オートマチックにやっていたら、それはつまり無意識ということだから、定型発達の人に訊いてもわからんだろうな
そんな話をしたあとに、今日は美容院に行ったのだけど年明けだからか賑わっていて
4人くらいお客さんがいて、スタイリストさんも4~5人いて、ハサミの音、ドライヤーの音、エアコンの音、ドアが開け閉めされる音、BGM、それぞれが交わしている会話、ものすごい音の洪水で脳があっぷあっぷだった
他のお客さんもスタイリストさんたちも平然として仕事したり会話したりタブレット見たりしていて、こんな音が溢れているのになんとも思わないのかなとか考えていた
そんな自分は押し寄せる音に流されてほぼ呆然としていた
タブレット見ていたフリ
音がしんどいですとも言えないし
私が自分の聞こえ方が当たり前だと思っているように、他の人も自分の聞こえ方が当たり前だと思っているだろうから、感覚のことって追及すると迷宮でクラクラしそう
診察に行って自分の偏った思考に主治医と心理士さんの考えが入って、少し軌道修正された感じはある
そんでもまだまだモヤっとしている
今日は疲れてしまったし、これ以上考えるのはやめよう
幸いにも明日も休みだし、ゆっくり脳を休ませたい