ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

別人格の出現

昨日のブログを読み返したらキレた勢いのまま書いていて笑ってしまった

あれが取り繕ってない自分かな

言葉はちょっとだけ選んだけど、頭で考えていることがそのまま文章になっていた

 

一晩経って職務経歴書を読み直し、これ以上盛りようもなく訂正する部分もなかったから履歴書も仕上げて郵送してしまった

一件応募ができたことになる

書類選考があって返事に10日くらいかかるらしいから、別の道はないかとかも考えておこうかな

あまり根を詰めずにいきたいところだけど、きっと考えるから思いのままにやれ

 

書けるわけないと言った職務経歴書がキレたら書けたのはなんでかなと考えてみた

絶対無理だとか自信がないとか言っているほうが主の自分だとして、社会で良く見られる術を獲得しているほうの2つめの自分が出てきたんだろうなあって結論になった

キレて主の自分がなんだろう気絶したみたいな?引っ込んでしまって2つめの自分が表にきたんだろう

自信がないほうが引っ込んでいるからつらかったこととか思い出さなかったし、人前に出せるくらい武装した自分を練り上げることに特化してるほうがポンポンと文章を作ってしまったのも不思議ではない

公立高校の受験のときとか医療事務として働くためにクリニックの面接を受けたときとかの感覚に似ていて、こういう言葉や能力が求められているんだろうって予想してそれらしいことを自分の経験から引き出すようなやり方

それができるだろうって心理士さんは言ったんだろうな

 

今回はキレてようやっとできたけど、これってコントロールできるものかな

意識的に社会的な自分を表に出すことはある

他人と接するときはまあまあの確率で自分を偽るしできてるはずなんだよなあ

昨日はだいぶ甘えの意識があったからかもしれない

やりたくないできないと言えばそれが通るとどこかで思っていたのかも

実際はそうでもなくてキレて…ってわけだ

でも強制的にでも2つめの自分を出して対社会用の自分を準備できたのは、これからにも役に立ちそう

多分感覚を忘れていただけで、武装した自分でやっていくというのはできていたことだ

やりすぎると精神的に参ってしまうからそこのバランスがずっと問題ではある

 

鎧を被った自分に全振りしていて追い詰められた経験があって、武装しないでも生きていける方法を探そうって5年半やってきたんだけど、丸裸の自分では到底世の中を渡っていけるはずもないということがようやくわかったという段階ですな

生きていく以上人と関わらずにはいられないし、そのなかでどれくらい鎧を被ってどこで素の自分を取り戻すかというのを探っていかないといけないんだなあ

こういうのって当り前にやっていることなのかもしれないけど、頭で考えて実践してぶちのめされてやっと理解できる感じだ

時間がかかるなあ

周りの人も大変だろうと思う

呆れずに見てくれている人がいるうちは、自分から諦めたらいけないんだろうな

諦めたいときのほうが多いけど

なんとかがんばらないとだ

 

だいぶ疲れたから明日はゆっくりしようと思ったけど、退職届と制服を持って前の職場に行かないといけないんだった

気合い入れていこう

ゆっくりするのは診察のあとだ