ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

美術館で知的な遊びをする

美術館が好きだ

年に一度くらいしか行かないけど毎回楽しい

今日は妹と、『名古屋市美術館コレクション エコール・ド・パリとメキシコ・ルネサンス』を見に行った

最近妹とよく会っている

ふたりともメキシコ・ルネサンスのほうに興味を持って行ったのだけど、私は写真にもある骸骨の風刺画を描いたホセ・ガダルーペ・ポサダという画家が気に入った

スペイン語がわからないから文章の意味まではわからないが、軽快なタッチの骸骨たちがとてもかわいらしく、これでなにかを風刺しているのはとても楽しいなと思った

性格が悪いのか

「La GALAVERA」というのがスペイン語で骸骨の意味らしい

妹もこの作家の絵を気に入ったようで、骸骨が自転車レースをしている絵のポストカードを購入していた

 

美術館に行くと2時間以上は滞在するのが我が家の当たり前みたいなところがある

今日もたっぷりと時間をかけて回った

絵画の技法も気になるし、額装と絵の組み合わせを見るのも楽しいし、作家が入れるサインもどんな筆跡で書いているのかが興味深い

私の癖というか特性というか絵の全体像を見るよりか、細かい一点をじっくり眺めるというのが鑑賞スタイルかな

絵によって気になる部分は違ってそれがワクワクする

美術史に詳しい方なら常識なのかもしれないけど、エコール・ド・パリの頃の日本人画家のサインがフランス語読みで読めるように書かれていて、自分が知っている一般的なローマ字綴りでないことに気づいたのが今日の一番興奮したことかな

絵じゃない(笑)

それから油絵を見るたびに思うけど、人物画で瞳が印象的なものってどうやってあんなに透明感のある仕上がりにしているんだろうと不思議

 

展示の後半はシャガールの作品ばかりだったのだけど、よく知っているロマンティックでラブリーな感じのものではなくて、物語や聖書の挿絵がたくさん展示されていてこんなリアリティや怖さがあるものも描いていたのかと知れて勉強になった

七つの大罪をモチーフにした作品がとても印象的だったな

100年前の感覚は今でも変わらないのかなと思った

宗教的なことって時代が変わっても共通して認識できるから、ずっと続いているものなのか

 

美術の展示に行くと自分はどんなことが気になるか、作品を前にしてどのような想像ができるか、持っている知識と結び付けて考えられるかなんかを全身を使って発見していく感覚がある

心が躍るという表現があるけど、美術館に行くと自分はそういう体験ができるな

ものすごくエネルギーを使うから終わったあとのお茶休憩は必須

県立美術館内にあるカフェが今週末で閉店するらしく、少し寂しい気持ち

頻繁に利用していたわけもないけど、母と何度か立ち寄ったことのある場所だから思い出はある

今日帰りに寄ろうかと思ったけど、たくさんお客さんがいたので断念

もうお別れになるな

 

とにかく今日は妹が行きたいと言って連れ出してくれて、脳も身体もフルに使って感じて充実した時間を過ごせた

面接の前日にふさぎ込まなくてすんで助かった

明日の朝がんばります