診察日
主治医とも心理士さんとも一昨日の面接の話をした
特になにか新しい考え方を得たわけでもないかな
とりあえず結果待ちであるし
がんばって行ったねと言われたけど、そんなことないと思った
面接の日まで荒れ狂いネガティブにも程があるくらい落ち込んで行くのやめようかとさえ思ったのにも関わらず行ったことはがんばったと言うのかもしれんが、自分のなかではがんばったと思わない
努力労力がなかったわけではない
ただ当たり前のことをものすごいエネルギーを使ってしただけだ
今日は面接のこと以外で話したいことがあった
主治医も心理士さんも忙しくて話せなかった
話したところで今さら言ったって仕方のないような内容ではある
ふたりが私に関わり始めるもっと前のことだからな
ASDは持って生まれたものだから仕方ないとして、摂食障害と双極性障害はなりたくなかったなという話がしたかった
なってなかったら二人にも出会っていなかったかもしれないけど、会わなくて済むならそれはそれでよかったんじゃないか
自分がASDとわかる前になってるから順番がごちゃごちゃになってる感はあるけど
特に摂食障害は失ったものが大きいから、あそこまで酷くなる前になんとかならなかったのかなと思う
どうにもならなかっただろうなともわかっている
書こうとしたことがうまく文章にならないや
うーん
なんで二次障害になりたくなかったのかというと、成長の過程で身につけるはずだった自信の持ち方(つけ方?)みたいなものをきれいさっぱり失ったからかな
わからんのですよ
自信をつけられるような環境にいなかったから摂食障害や双極性障害になったとも言えるので、ニワトリと卵どっちが先かみたいな問題かもしれない
自信の持ち方を知らないまま大人になったら卑屈で扱いにくい人間になります
自分で自分を取り扱うのも面倒
支援してくれる人がいるのも不思議(それが卑屈)
まあ相手は仕事だから(これも卑屈)
発達障害であろうとなかろうと、子どものうちに自分を信じられるようプロセスを踏んでほしいと願っている
生まれてきた子どもたちはできる限り自分の幸せを掴める道にいてほしい
子どものうちに特性がわかっているなら、より自分に合う環境に身を置いて過度な努力で擦り減らないようにしてほしい
努力をしないでいいなんて言わないけど、身の丈に合わない努力をしたら病気になる
体験者だから言う
がんばっているお子さんを支援している方も保護者の方も、がんばりを認めてあげるのももちろん素敵なことだけど、がんばりすぎていないか、無理が出ていないかは見てあげてほしいと思う
とても難しいことだろうとは承知のうえで言っている
過ぎたるは猶及ばざるが如しなので
がんばってもがんばりすぎて心身の健康を壊したら、本当になにも残らない
自分の叶わなかったことを次の世代の子たちに願うというのは、自分も歳をとってしまったなあ
ただのエゴなんで忘れてください