診察日
いつも乗る快速電車が運休で、普通電車に乗ったら遅延して、予約の時間ギリギリに病院に着いた
心理士さんの時間の都合で診察の前に面談になって、なにもかもいつもと違ってパニックだった
時間が経ってやっと冷静に振り返っているけど、朝からハードだった
病院の最寄り駅に着いた時刻が予約時間に間に合うかどうかってところで投げ出さなかった自分は大人になったかもしれない
かも、しれない
通常と違う始まりで脳が半分機能していないような状態で話をしたから、いつもなら理解できることもできなかった感覚で不完全燃焼
そういう日もあるか?本当に?
心理士さんとは時間がなくてあまり話ができなかった
覚えているのは一生働かないんだろうなと思ったと言ったら、それでやっていけるならそうしようよと返ってきたこと
そういうことはよく言われるけど、いつもどれくらい本気で言っているのかわからない
本気度を考えてもしかたないんかもしれんけどな
一生働かないんだろうなというのは割と本気
主治医に生きる意味を考えるけど誰も話に付き合ってくれないと言ったら話をしてくれた
主治医と自分では見てる世界が違い過ぎて、へえ…としか思えんかったけど
生まれてきて生きているから死ぬまでできるだけ楽しく過ごそうは心理士さんがずっと言っていることで、それはそれでひとつの考え方と理解はしているけど、自分がその考えで生きられるかと言われると無理
生きているだけで苦しいことが多すぎるので
それは主治医も理解してくれた
主治医から見ると私は力を持っているけど、現代の日本の社会ではうまくはまらなくて力を発揮できていない感じらしい
そういう人は他にもたくさんいて、そのような人たちが力を発揮できるような仕組みとか場所とかが作られていく、なんて言うんだ?歯車のひとつって表現すればいいのかな、社会が変わっていくためのひとりみたいな、広い視野のなかに自分を置いてそこに意味を見出す方法もあると言われた
これ日本語大丈夫か
主治医の言うことも理解はできるけどなあ
というよりかは、自分は視野が本当に狭いんだと思い知らされた
主治医はこの考え方を押し付けるようなことは言わないけど、そもそも自分には社会が変わっていくことに意味を見出すとかいう発想がないんだ
社会に入れないとか嘆くわりには社会に興味がないんだな
他人の役に立ちたいとか貢献したいとか思ったことないな
推しに貢ぎたいとは思うけどな
自分がアクションを起こすなりなにかがんばるなりして、他の人や次の世代の人が生きやすくなるかもしれないという意味のことは別の場面でも言われたことがあるけど、それでなにか?と思うのね
自分のことしか基本考えてないんだな
視野が狭いから哲学みたいなこと考えてもなかなか明るくはならないよね
生きる意味を考えることは悪いことじゃないと思うけど、それが自分の首を絞めていたら苦しいばっかりだよな
生きる意味を考えて突き詰めたら宗教になると主治医に言われてそんなことはわかっていると思った(言わなかったけどバレたっぽい)
正直そういうことはよく考えるし、自分だけの揺るがない信念が確立されたら最強なんだろうと思うよ
結局揺るがない信念がほしいのかな
そうなんだろうな
十何年も考えて生きる意味はないと結論づけたはずなのに、やっぱり意味がほしくて考えては苦しんでいるのかもね
でも自分で答えを出したいんだよな
それって傲慢?