ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

何事もなく病院に行ってきました

診察日

電車が運休することも遅延することもなく何事もなく病院に行って帰ってこれたことがすごくありがたいと思う

当たり前のことじゃないって尋常ならざるときを体験してやっと思い知るね

 

食事について心理士さんと主治医の意見が分かれていたのが同じ方向を向いてやりやすくなったと思っていたけど、その意見の食い違いみたいなのはもっと早くどちらかに伝えたほうがよかったらしい

食事のことだけでなくて、自傷行為の許容範囲とか仕事でどれくらいがんばるかとか、心理士さんと主治医では立場も違うしスタンスも違うので意見が分かれるのは当然だと思っていて、違う立場からの助言を自分なりに取り入れてやっていくのが理想だろうってことで意見が違うというのをわざわざ二人に言うことをしてなかった

それでね、自分でうまくやれれば問題ないんだろうけど、理想は理想で、現実はふたりの意見の板挟みになって苦しい思いをしたという

試行錯誤してボロボロになったすえに解決策を見つけたのはひとつ収穫

でももっと早くにどちらかにふたりの意見が違うから難しいと言っておけばボロボロになることはなかったと思う

違ってるということを伝えたほうが心理士さんと主治医にとっても良いことらしいです

 

このところは休むってことがうまくできているほうだと思うけど、もともと休むとかペースを調整するってぜんぜん上手ではないです

一人暮らしをし始めた頃は「休日」という概念がなくて毎日フルスロットルでがんばるって感じだった

それでぶっ倒れて再入院ってなったこともある

休む日を作るというところから始まったし、休む日になにをして過ごすのか最初はわからなかった

休む日にしてもいいことをリストアップするといいよと心理士さんに言われて、それは横になっててもできることという条件がついていたり、疲れない程度の時間を設定したり、やり始めるのにハードルが低いことを選ぶといいとアドバイスをもらったりした

私の場合だと横になっててもできることは、数独クロスワードパズル、読書、動画を見るで、眠ってもいいと自分にわざわざ許可を出してあげるのも大事だった

読書は長い間リストに入っていたけど本格的に復活したのはわりと最近なので、できない時期があっても選択肢から外さないでおくのも必要なのかとわかったばかり

 

ダンボさんのブログに書かれていた「なにもしない時間」って言葉が難しいなあと私は思いました

なにもしない時間だけどなにかはするわけだし

休んだら?とかリラックスしたらどうか?という意味だとしたら、休む日にしてもいいことをあてはめられるかなとは思う

なので参考になるかはわかりませんが、横になっててもできることとか始めるのにハードルが低いことをリストにしておくのはいいかなと実体験からは言えます

曖昧な言葉って難しいから、それを具体的な行動に置き換えてリスト化しておくと選ぶだけなのでちょっと難易度が下がる気がする

休むことをするっていうのにとらわれないで、時間が過ぎればOKと思うくらいがちょうどいいっていうのも最近気が付きました

もっと分かりやすく伝えたいのに言いたいことがありすぎてごちゃっとしてしまう

なんかすいません、自分もきっとわからないと思ったのでつい書いてしまいました

こういうのどこまで踏み込んでいいのかさっぱりわからないです

 

ずっと読ませていただいてる方のブログで自分にはない考えを知ったり、逆に自分では気づいてなかった自分の考え方を知ったり、直接言葉を交わすわけじゃなくても得るものがたくさんあって、ブログって面白いなあと思うとついつい毎日書いてしまいます

自分のつたない言葉でも読んでくださる方がいてすごくありがたいです