ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

私だけが望んでいる

診察日

この半月くらいのテンションはもう死ぬかと痩せるためなら生きてもいいなを行ったり来たりである

そろそろ心理士さんと主治医に伝えねばなるまいと考えたので言ってみる

心理士さんには痩せるためなら生きてもいいという感覚はわからないみたいだった

どうなんだろう、これは摂食障害を経験しないとわからないものかもしれないし、摂食障害になってもそうはならない人もいるかもしれない

痩せるためなら生きてもいいという感覚をどうやって伝えようか考えたけどうまい表現が見つからず、死ぬか痩せるかどっちかという極端で、しかもかなり本来の感じ方とは違う言い方しかできなかった

痩せるというのはわかりやすいからという言い方をしたのは伝わったみたい

体重の数値の変化も見た目の変化もはっきりと目に見えるからやり甲斐があるというか、そこに生きるモチベーションを感じてしまうんだよな

これはしんどくなったときに起こる典型的なパターンで自分としては受け入れてるんだけどね

今よりも痩せるということは私だけが望んでいる

主治医も心理士さんも家族も誰も私にこれ以上痩せてほしいとは思っていないことくらいわかっている

それを言ったらかなり強い口調でそうだよと返されたので本心なんだろう

でも今の私から痩せることを取り上げたら死ぬので、心配かけてしまうけど多分倒れる寸前までやる

ずっとこのモードが続くわけじゃないと心理士さんは知っているからあまり口酸っぱくちゃんと食えとは言わないのかな

痩せ願望がいつまで続くかは自分でもわからんので、それが違うモチベーションに置き換わるか限界が来るかどっちが先になるでしょう

 

主治医はどこまで痩せたい願望がありますかと訊いてきたので、摂食障害の心理構造は理解したうえで危険度を測っているのかなあと他人事のように思った

なんか振り返ると主治医に言われたことを他人事みたいに捉えることが多いな

正論ぶちかまされるから耳を塞いでいるのかも

それは置いといて、どこまで痩せたいかって訊かれると生理が止まるまでだわな

生きてきたなかで生理が止まってた期間は年単位で何回かあるから自分としてはそんなに一大事と考えてないところが危なかっしい

主治医はそこも把握してるのかどうかわからんがそこまで行くまでに止めると言われたので実現はしないはず

あと3キロ減ったら止まるラインだけどそれはまだ言ってない(クソ患者)

食べる量はこれ以上減らないはずだからこれでどこまで持ちこたえるかかなあ

 

食べたくない、痩せたいというモードだとふだんから狭い許容範囲がさらに狭くなる

自分の想定外のものが現れるとパニクる

今はこんなもんと思えればいいんだけどな

パニックを起こしたらさっさと頓服を使うように気をつけるかあ

どことなく他人事感が否めないのはどうしたもんだか