ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

突然の方針転換

今日は少し気分がマシ

落ちるところまで落ちてしまったからかもしれない

泣かずに一日を過ごせただけでも結構いいと思わないとね

 

面接を受けたところは、あちらの事情とこちらの事情がかみ合わなくてお断りすることになった

なかなか仕事が決まらなくて焦る気持ちがあるけど、無理そうとわかっているところに入って苦しむ理由はないから冷静にならないと

今回面接を受けに行って改めて考えたことは、自分は本当に人と同じ空間で長時間過ごすことができないということ

前の仕事でも近距離に人がいることがかなりストレスになっていた

医療事務のときはどうだったっけ

通常業務なら問題なかったけど、忙しい時間とかふだんと違う看護師さんと接するときとか距離感がバグっていてしんどかったな

小さめのクリニックだったからなんとかなってたのかな(結局体調を崩してやめたが)

 

応募先の事業所について心理士さんから連絡があって話をした中で、人と同じ空間に長時間いるのが難しいと伝えたら、在宅で探す?と方針転換の提案をされた

ここまで来たらそれしかないかと思う

お小遣い稼ぎ程度に在宅ワークのアルバイトをしていた時期が何年かあって、その時期は収入は安定しなかったけど精神的には安定していて、心理士さんに言われる前から在宅がいいなとは思っていた

次に探すならある程度安定して収入を得られるような企業にしないといけないから、採用されるまでにかなり厳しい道のりを行かないといけないだろうけど、やってみないと後悔しそう

本当は投げ出したいですよ

仕事なんかしたくない、お金なくなったら死ぬというのが本音

そんなわけにいかないのもわかっている

がんばって就活してたくさん受けてどこもだめで本当に働く場所がなかったら、心理士さんも主治医も働くの諦めてもいいよと言うかもしれないけど、まだそこまでがんばっていないので許されるわけがない

もったいないと言われるんだ

 

少し求人を探したけど、障害者雇用で在宅でってなると求められるスキルが難しいなと思う

自分がそこをクリアしているのか非常に微妙なライン

求人票はもう少し具体的に書いてくれたほうがお互いにとってメリットがあると思うのは自分だけだろうか

曖昧な表現を理解しづらいという自分の弱点が出てるだけなのか

世の中ってふんわりぼかして意図をくみ取れよみたいな圧力があって結構嫌

日本の文化かな

 

愚痴を言ってもどうにもならんので、わからないことはハッキリ訊くべきである

またハローワークに行く予定になった

がんばるしかない

体調を整えるところからだ

微熱が続いています

体調がよくない日が続いている

春の気候の影響は大いにあるし、就活のいろいろでストレスを溜めているんだろう

ずっと37.5℃前後で体温がうろうろしていて、先週は生理前だから仕方ないかなと思っていたけど、生理が始まっても微熱があるからこれは体調不良かな

ストレスで熱を出すのもよくあることだからそれかな

 

ネガティブになっている

勝手にネガティブになるのはやめようと言われてから、やめないといけないと思って余計にネガティブになっている

自分で自分の首を絞めていることくらいわかっているけど、なにをどうしたってうまくいくイメージが湧かない

あんまり考えたらまた泥沼にはまっていきそうだから今日はここまで

 

建設的な思考をしたいのになかなかできない

今さら言っても仕方のないこと

診察日

主治医とも心理士さんとも一昨日の面接の話をした

特になにか新しい考え方を得たわけでもないかな

とりあえず結果待ちであるし

がんばって行ったねと言われたけど、そんなことないと思った

面接の日まで荒れ狂いネガティブにも程があるくらい落ち込んで行くのやめようかとさえ思ったのにも関わらず行ったことはがんばったと言うのかもしれんが、自分のなかではがんばったと思わない

努力労力がなかったわけではない

ただ当たり前のことをものすごいエネルギーを使ってしただけだ

 

今日は面接のこと以外で話したいことがあった

主治医も心理士さんも忙しくて話せなかった

話したところで今さら言ったって仕方のないような内容ではある

ふたりが私に関わり始めるもっと前のことだからな

 

ASDは持って生まれたものだから仕方ないとして、摂食障害双極性障害はなりたくなかったなという話がしたかった

なってなかったら二人にも出会っていなかったかもしれないけど、会わなくて済むならそれはそれでよかったんじゃないか

摂食障害双極性障害ASDの二次障害ということになる

自分がASDとわかる前になってるから順番がごちゃごちゃになってる感はあるけど

特に摂食障害は失ったものが大きいから、あそこまで酷くなる前になんとかならなかったのかなと思う

どうにもならなかっただろうなともわかっている

書こうとしたことがうまく文章にならないや

うーん

なんで二次障害になりたくなかったのかというと、成長の過程で身につけるはずだった自信の持ち方(つけ方?)みたいなものをきれいさっぱり失ったからかな

わからんのですよ

自信をつけられるような環境にいなかったから摂食障害双極性障害になったとも言えるので、ニワトリと卵どっちが先かみたいな問題かもしれない

自信の持ち方を知らないまま大人になったら卑屈で扱いにくい人間になります

自分で自分を取り扱うのも面倒

支援してくれる人がいるのも不思議(それが卑屈)

まあ相手は仕事だから(これも卑屈)

 

発達障害であろうとなかろうと、子どものうちに自分を信じられるようプロセスを踏んでほしいと願っている

生まれてきた子どもたちはできる限り自分の幸せを掴める道にいてほしい

子どものうちに特性がわかっているなら、より自分に合う環境に身を置いて過度な努力で擦り減らないようにしてほしい

努力をしないでいいなんて言わないけど、身の丈に合わない努力をしたら病気になる

体験者だから言う

がんばっているお子さんを支援している方も保護者の方も、がんばりを認めてあげるのももちろん素敵なことだけど、がんばりすぎていないか、無理が出ていないかは見てあげてほしいと思う

とても難しいことだろうとは承知のうえで言っている

過ぎたるは猶及ばざるが如しなので

がんばってもがんばりすぎて心身の健康を壊したら、本当になにも残らない

 

自分の叶わなかったことを次の世代の子たちに願うというのは、自分も歳をとってしまったなあ

ただのエゴなんで忘れてください