ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

許容範囲を広げようとしているらしいです

診察日

心理士さんに先週の仕事の様子やどんなことを考えて過ごしているかなどを話す

このブログにも書いていることだけど、失敗とか反省とか落ち込むこともあるけど、できるようになったこともうまくいったことも自分で把握して認められるようになっている

それが素晴らしいねと言ってくれた

本来の私って完璧主義で失敗なんてもってのほかって感じの人間だから、失敗を数えてそればかり考えて激しく落ち込んで自信をなくすっていうのがだいたいのパターンなんだよね

これまでそうやって生きてきたもんだから自分のことをなかなか認めてあげないんだよ

今は自分を認めてやろうという気持ちでうまくいったことを数えているというよりかは、失敗を引きずらないためにできたことを考えているみたいなところはあるけど、結果的に自分のことを責め過ぎずにすんでいるからいい方向に働いていると思う

それを心理士さんとやり取りしないでもできるようになっているのが変わってきたなと気が付いたな

もちろんこれまで何年も心理士さんと話してきたから、自分の考え方の癖も自覚して対処できるようになってきたのはあるんだけど(ただし調子の良いときに限る)

ブログを書いているのもかなり考え方に影響しているなあと、今日話しながら思っていた

心理士さんには言ってないけど

なんとなくね、ブログを書いていたら悪いことや嫌なことがあった日でもなんとか良い面も見つけて終わろうって思うんだよね

無理なくらいつらい日もあるのはある

自分ひとりが見る日記にはひたすらネガティブなことを書き殴って終わるんだけど、一応公開しているブログだから何か明日につながるものを絞り出そうという意識が働いている

一日の終わりにパソコンに向かって書いていたら気持ちが整理されて、自然とそうなってきたのもあるかなあ

セルフカウンセリングみたいな感じだなとか思ってる

公開する場じゃないとそれができないのが病んでる日記ってことかな(笑)

 

心理士さんは許容範囲を広げようとしているんじゃないかなと言っていた

完璧主義の自分が失敗しても別のことはできたとか、100点は取れなかったけど75点くらいではできたとか、何事にも完璧を求めるんじゃなくて、「可」の範囲でできていたらオッケーと思おうとしているのが許容範囲を広げようとしているってことらしい

なるほどなあと思った

確かに自覚しているほど許容範囲は狭い、何事に対しても

それが仕事に関して自分の出来が完璧じゃなくても「できている」と考えられているのはずいぶん判定が緩んだってことだ

休日に関しても完璧な休日を求めすぎているのかもと思ってみたりして、無理して100点を取ろうとしなくなりつつあるのかもしれん

ん?100点100%完璧はほぼ不可能ってようやく気付き始めたのかな

理想は理想としてあっても現実との折り合いをつけなきゃならなくて、理想の高さを現実に近づけられるようになったのか?

まだちょっとわかんないですね、もう少し観察してみよう

心理士さんは仕事も生活も食事も完璧は求めないようにするのがいいよって言ってました

今の私の姿勢は良いらしいです

 

主治医は今の状況把握メモをわかりやすくていいと言ってくれた

それから疲れを自覚できているのがいいですねだって

仕事中にエネルギー補給をしても度を超えた過食をするようなら、疲れや無理のサインってことだから仕事量を見直すべきとも言っていて、食べることを気にするのも自分の調子を測るひとつの指標になるんだなと思えた

気にし過ぎて落ち込むのはよくないけど、冷静に観察するのはいいみたいだ

疲れ具合をよく把握して今週もがんばろうと思います