ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

泣くほど落ち込んでもファンタジーは助けてくれる

今になって思い出したんだけど先週の土曜日は広島に行ってきたんだった

そのはしゃぎ疲れを一週間くらいかけて取り戻すと自分で言ったんじゃないか

こういうのすぐに忘れ去ってしまうのは自分の悪い癖だ

目の前のネガティブに振り回されてもうだめだってなりがち

睡眠不足も重なってたからなにもできずに早々に寝てしまう日があったのも納得だ

自分で思い出せてよかったじゃないか

いつもなら心理士さんに言われてから気が付くところだ

 

上橋菜穂子さんの『香君』というお話を読んでいます

小学生の頃からたびたび上橋さんの描き出すファンタジー世界に夢中になってる

架空の国のいつとも知れない時代が実際にあるかもしれないと思わせるように徹底的に作りあげられていて、それがひとつだけじゃなくていくつもあるっていうのがすごい

言葉も文化も政治の在り方も、それだけじゃないんだけど私の言葉が及ばないが、現実にあるもの、歴史として残っているものを知識として蓄えて研究もしてるからこそのリアリティなんだろうなとこの度ようやく思い至りました

そのおかげで人間のすることとか社会の成り立ちとか私でも理解ができるようになってるんだと思う(理解といっても一部分だけど)

架空の世界を描くからこそ理解できる現実というのはきっとある

 

私が文章や物語から世界を知ろうとしているのは多分にあるけどね

それが有効なんだ自分にとっては

幼い頃からずっとそうしてきたからどこかのタイミングで自分なりにわかったんだろう

もともと公民館や学校の図書室が大好きな子どもだったので、この物語がきっかけっていうのがあるわけじゃなくて好きで読んでたら世界のことが少しわかるようになったという感じだろうかな

 

今日は(今日も?)すごく落ち込むことがあったんだけど、いやいやこのままズルズル考えててもいいことにはならないよと思って、『香君』の続きを少し読んでみたらたちまち頭がその世界に入り込んでいってごちゃごちゃと悩んでいたことは一時消え去りました

物語に熱中できるというのは自分の得意なことであり幸せなことであると思うので、それが軸になって定まればなんかもっと安定しないのかなと思わんでもない

生活リズムを維持することと両立できたら最高だけどなかなか簡単にはいかない

ファンタジー世界に浸って帰ってくるのが遅くなっても自分を責めないでいられたら、こういう自分でもいいじゃないかと思えるのかなあ