診察日
今日は大丈夫でした
主治医と心理士さんと話して、また一週間やってみようと思えた
右腕が痺れることを心配されていて、どうなったかとふたりともに訊かれた
今日も作業してみて痺れることはなくて、握り方や台の高さを変えたのはある程度効果があるみたい
痛いところはある、右腕や左肩や左の腰や、そういうところ
痺れなくなったということには安心してもらって、痛いところがあるということはやっぱり心配された
主治医は痛いところがあって仕事を続けられるか?と問うてきた
私はやると思いますと答えた
できるかできないかで質問されて、やるかやらないかで答えたことは前にもあったような
主治医はそれを思い出したのか、できるかどうか訊いたらだめなんだったねと笑っておりました
痛いところがあるのも受け入れてみようと思ったのです
どう工夫してもどこかは痛くなるだろうなと諦めたと言えばいいのか割り切ったと言えばいいのか
削る、磨くという手を使った作業をしていて、手だけではなくて全身の力を使っているし、どこかが痛くなるのもがんばってる証拠かなあと思うことにした
まだ筋肉痛みたいな痛みだからいいかと考えてる節もある
関節や腱を痛めるような事態にはならないように身体の声をよく聴けるようになりたい
毎日ヨガをやって痛いところのチェックもできるから、整えると気が付くの一石二鳥じゃないか
こんなことを考えられるほどに今日は調子がいい
これで大丈夫と思えない問題については心理士さんが鋭い切込みをしてきたよ
調子が落ち着いているときに、いつかはまたダメになると不安になるのはわかるし仕方ないけど、それを調子が悪いときにも思えたらいいのにねって
つまり調子が悪いときもいつかはまた良いときが来るって自然と思えたらいいよねってこと
確かになあ
以前に比べたらだいぶマシになったんですよ
不調のターンに入っても暖かくなれば少しはよくなるって思えるときもある
自分と向き合って文章に変えていく作業をしていく中で、今が悪いだけでずっと続くわけじゃないと思い出すこともある
その割合が以前に比べたらすごく多くなった
それでも最悪に落ち込んだらもう一生このままだとか死んで終わりにしたいとか、ものすごく視野が狭くなって頭が支配されちゃうんだよな
視野が狭くなるスピードが速くて冷静になれないよね
時間をかけて少しずつ考え方が変わってきたので、最悪に落ち込んだときの切り替えとかやり過ごし方もまだこれから変わっていくのかもしれない
落ち着いているときも落ち込んでいるときもどちらの状態でも、いつかは反対方向に行くときがあるって受け入れてジタバタしなけりゃいいんだということを心理士さんは言ってました
まじそれな
言われて、水に浮かんでいるイメージが湧いたからそれがいいかもしれない
溺れる!ってもがくんじゃなくて、とりあえず浮かんで呼吸するかってぷかーって浮いてるほうがきっとラク
プールに浮かんでるの結構好きだったからそういうイメージになったのかも
時間とともに調子が良くなったり悪くなったりすることは避けられないので、自分はそういうもんだと思っているのがいいんだろうなあ
今日はそれができそうと思った
また変わっても仕方ないけど、今日思ったことは忘れないでいたい