ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

驚かれ、褒められ、素直に嬉しかった

診察日

仕事に慣れてきて筋持久力が上がったのかハイペースで作業が進むようになった

多分2倍の量を一週間でこなせと言われてもできるくらいのスピードになったけど、調子に乗ってまたどこかを痛めるのは嫌なので休憩時間を増やしている

時給泥棒と言われてしまえばそれまでだ

もっと丁寧にクオリティを上げていける余地があるのでがんばる

 

昨日の電話で私がだいぶパニクッていたので、今日も散々な様子でやってくるだろうと心理士さんは予想していたらしい

ところがどっこい、こちらは昨日のうちにケロリと立ち直りなにが幸せなのかという自分には珍しい発見までしていたので、むしろ呆れられると思っていた

電話していたときにものすごく視野が狭くなっていたこともわかっているし、もう少し長い目でいろんなことを考えたほうがいいということもわかっていて、幸せについてのことと併せて伝えたら、結構驚かれた

一日っていう短時間のなかでも、気持ちが変わって視野が広がって考え方が変わるということがあると、自分の経験として残しておいてほしいと言われたのでちゃんと覚えておこうと思う

一時的に混乱に陥っても永遠にそのままではないし、なにかのきっかけですぐに立ち直れるってことをわかっておく必要がある

昨日は心理士さんに電話してたまたまタイミングがよく話ができたからケロリと立ち直れたわけで、まだ自分ひとりでどうにかなるとは思えないけど助けを借りればどうにかなるくらいには自分のなかにいろんな視点を増やせているってことかもしれない

 

本を読むことが幸せなんだということに気が付いたのは、この状況でその発想になれるのは素晴らしいことだとほめてもらいました

だいぶ前に、まだ前の病院で話していたときに「幸せとは」というテーマで話し合ったことがあって、そのときに心理士さんが教えてくれた自分にとっての幸せというのがあまりに身近にあること過ぎて、当時の私は心理士さんは仏かなにかなのかと思ったんだ

それくらい私が思う幸せとか人生の喜びみたいなものは規模がでかくて、身の回りにあることやすぐにできることに対してありがたみを感じてなかったとも言える

まあその時はその時で生きてるだけでいっぱいいっぱいで、非日常空間にたまに身を投じることでしか生きることのつらさから逃れられなくて、毎日起こることは苦行の延長みたいなところはあったので仕方ないと思う

それを思うと今も悩んだり焦ったりパニクッたりするわけだけど、当時に比べれば余裕があるってことだな

仕事ができているという自信があるからかもしれないし、反対のことを言えば規模のでかい楽しいことをするのがしんどくなってきて、手の届く範囲で楽しめることをしたいという気持ちが大きくなってきたこともある

まあなんにせよ、これを大事にしたいと思えることに気が付いたので視界が良好になったことは大きな一歩である

 

心理士さんの言っていた境地に近づいた気がするよと言ったら、長い間話してきてだんだんわかってくれるようになるのは嬉しいよと答えてくれた

かなり嬉しかったです

いつも同じような思考回路とパターンで同じようなことばかり言わせているので、こいつぜんぜん成長しないなと思われてるかなとか無力な感じを味わわせてるんじゃないかと思ってる

そういう部分もあるだろうけど、時間がかかっても教えてくれたことが理解できてちょっとずつでも自分の考え方が変わって、生きてることに対してマイナスなイメージが減ってるところを見てもらえたのはよかったなと思う

生きてることに対して完全に肯定的にはならないんじゃないかと思うけど、ずっと嫌だと言ってても自分がしんどいだけなので心理士さんと話しながら自分なりの着地点が見つかればいいんだろうなと考えている

ほんと、昨日の朝はなんだったんだってくらいの変わりっぷりで自分でもびっくりするよ