ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

心配性とやることリスト

今日は昼から仕事

明日は休み

一日働いて一日休むのは変な感じがする

金曜日だというのに15時を過ぎてからとても暇で困った

子どもたちが夏休みに入ったから金曜日の午後は特別な時間ではなくなったのかな

夏休みといえばお子様連れのお客さんが増えた感じはするな

お行儀の悪いお子様に対してどうすればいいんだろうと思ったね

自分はよその子だろうと客の子だろうと悪いものは悪いと教えたくなってしまう性質なんだけど、心のままにそれをしてしまっていいもんかと悩むんだな

仮に自分が経営者だったとして店に来た人のマナーが悪かったなら悩まずに言えると思うんだけど、雇われてるわけだし店の方針とかあるだろうし勝手なことをしてはいけないかなと考えちゃう

注意しない言い訳にしてるだけか?

どうなんだろうなあ、言い方ってもんもあるしよく考えてみなくては

 

一日の予定ってどうやって把握してますか?

私は頭の中にぜんぶ入っているのに紙に書いて見えるようにしないと心配でたまらないので、前日の夜、ドライヤーで髪を乾かしたあとにやることリストを作る

やることリストには毎日のルーティンも記入するし、その日に絶対しなくてはならないことも書くし、勤務時間や仕事中にするべきタスクも書く

ルーティンに関しては時間は書かなくて、仕事の前の準備は何時までに終わらせるとか何時に家を出るとか、するべきことの順番もだいたい前日の夜に決めてその順番でリストを書いている

書き終えた時点で頭の中の予定表が強化されるからもう紙はいらないような気もするんだけど、一日の終わりまでずっとテーブルの上にある

それを見ないと落ち着かない

リストの中身を終えていくのを実感するためにも必要なのかもしれない

 

休みの日はやることリストに「休む」と大きく書く

そうじゃないとあれこれ動いて休んだことにならないから

最低限の家事や買い物をしたら休む

具体的にどんなふうに休むか決まってるときは内容を書くこともある

眠るとか録画してるアニメやスポーツを観ると編み物をするとか、それくらいしかレパートリーないけど

リストは多分具体的なほうが実行しやすいんだよね

ただ「休む」よりどうやって休むか決まってるほうがちゃんと休める

これはずっと前に心理士さんに教わった方法で、一日の時間割を作ってた時期もあったんだよなあ

生活リズムを整えるために、「仕事の日」「休みの日」「体調が悪い日」それぞれの一日の過ごし方を30分単位で作ってたね

それがだんだん簡略化されて前日に作成するやることリストだけで済むようになったんだな

当時作った休みの日にすることの内容は今にも役に立ってる

自分がなにをすればリラックスできるのか、身体を休められるのか、いくつか選択肢があるからそこから選べばいい

決まってなかったらどうなってるんだろうか

ぼーっと過ごすのが苦手だから、なにかに急き立てられる感じで動き回ってるのかも

 

心配性とカレンダー大好きが相まって空き時間にスケジュール帳とシフトアプリをずっと眺めているときもあるね

何度見たってスケジュールもシフトも変わらないのになんでか見ちゃうんだよな

わかってないと怖いという心配があるからだと思ってる

カレンダーは数字が並んでるという単純な理由で好き

素数の斜めラインを見つけるのが好き