ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

自分で感じているよりは良い波のほうに来ている?

診察日

心理士さんと話していたら自分で感じているよりは調子が良いほうに向かっているのかなと気が付いた

目の前の感情や事柄ばかりにとらわれて、以前と比べてどうだったという視点が欠けまくるので、他人から客観的に教えてもらわないとわからない

先週だっけ?ルーティンがこなせないと悩んでいたことを心理士さんに相談していて、それはどうなったんだと質問されて、寝る時間を1時間遅くしたら解決したと答えた

そうしたらそもそも寝る時間を早くしていたのは夕方から夜にかけて気持ちが落ちてしんどくなってたからだよねって言われて、あ、そうだったってなる

1時間ゆっくりする時間ができても気持ちが落ちる日のほうが少なくて、ちょっとネガティブな考えになることもあるけど、頓服をのむとか気持ちを書きだすとか対処したらなんとかなることのほうが多い

仕事があって別の疲れでゆっくりの時間が欲しいというのもあるだろうけど、ゆっくりできているという事実は2~3か月前に比べたら調子が良い方向に向かっているんじゃないのかなと心理士さんが言って、そこでやっと気が付くんだよ

教えてくれる存在がいるからいいかな

自分では中長期の視点を持てないから、できないことは助けてもらうのがよいでしょ

 

以前の自分と比べるとって話だと、今の状況は一時期のお金ない収入の見込みもない生活どうしようってときに比べたら、仕事もあるし一応がんばってるし生活もまあまあできているし落ち着いているはずなのに、ずっとしんどさはあるよねと言われてしまって考え方の問題もあるのかなと思ったりした

なんで生きてるのかとか生きる意味とか考えてしんどいっていうのは多分まだまだなくならないと思うんだけど、あれしたいこれが欲しいでもお金足りない、あー病んだみたいなしんどさは自分次第で軽減しそうな気がする

少し前から考えていることで、身の丈に合った楽しみ方を覚えないといけないよなということである

あれもこれも、欲しいものもやりたいことも全部叶えたいと思ってしまうけど、そんなこと言ってたら永遠に満たされないんだよね

心理士さんは身の回りのことにちゃんと(?)楽しみや嬉しさを感じている人で、そのことを教えてもらったときは私には絶対無理だと感じたものだけど、自分もできるようになりたいなと思うようになった

もうちょっと楽しいのハードルを下げられたらいいのかなとか考える

あと感受性かなあ

気が付く力が必要そう

 

主治医に「疲れることに慣れた」と話したら、そんな表現をする人は滅多にいないよと面白がられた

独特な表現をする私のへたくそな話もゆっくり聞いてくれてありがたいことだ

最近、特に話しやすくなってなんでだろう

正直にぜんぶ言って大丈夫だと思うようになったのはあるかも

あと地味にポイントなのは電子カルテになったからかなあ

主治医はキーボード操作のほうが手書きよりもラクそうにしているから、いっぱい話しても大丈夫だと思ってしまう

まあ話せるのはいいことだ

 

雨が降っていたけど診察に行ってえらかった

黄色のマフラーは大活躍している