ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

気の合うファンタジー

まず仕事

休憩30分作戦は功を奏した感じです

少なくとも今日はうまくいった

一日できたからって浮かれるのは違うので続けてできるかやってみよう

こんなことが許される仕事をさせてもらっていて本当に感謝しなくてはいけない

しんどいこともあるけど短気を起こしてはだめ

 

午後はそれでも疲れがあって、まあ天気も悪いし昨日との寒暖差も激しいし、ぼんやりと過ごしていた

雷が鳴って春だなあと思ったりした

そのあとゲリラ豪雨かってくらい降ったので春ってより夏かもしれんけど

四季が二季になる日は近いのか

 

夕方、荻原規子さんの『薄紅天女』を読み始める

もう何度目かわからないほどだ

小学校の図書館で出会ってからずっと大好きで市立図書館でも借りまくり、文庫本が出たときには念願叶ったりと思ってシリーズをぜんぶ即そろえたもんだ

実家の本を持ってきたいと言っているけど、本当のお気に入りは手元に置いている

そしてなにかわからないけどそろそろ勾玉シリーズを読み直す頃だと感じていた

紅天女はシリーズのなかでは最後の位置づけで、だけど何も知らずに小4か小5の自分はそれを一番に手に取ったんですね

結果的に一番のお気に入りになったんですが

もちろんシリーズぜんぶ好きです

 

もうストーリーもセリフの一部言えるほど読んでいるのに、読み始めると不思議と世界に引き込まれて現実に戻ってくるのが難しくなってしまう

いやあ今日も危なかった

危うくまだ水曜日ということを忘れて一気読みするところだったね

そんなことをしたら真夜中になっているし、読み切った爽快感はあっても次の日に持ち越す疲労は半端じゃない

戻ってこれたことに関しては大人になってしまったなと感じるけど、読んでいる最中や読んだあとしばらくふわふわとして、自分がどこにいるのかわからない感覚があるのは子どもの頃夢中になってファンタジーを追いかけていた時と変わらないものがある

 

以前心理士さんに勾玉シリーズをお勧めしたら一作目の『空色勾玉』を読んでくれたんだけど、感想が「なんだか難しくてよく分からなかった」だってショックを受けたことがある

でも今回また読んでみてて感じるのはファンタジーにも気が合う合わないがあるなってことと、似ているものが好きかなと思う人ともやっぱり違う人なので、どこかでは好みがズレるのも当然ってことです

すごく当たり前のことにやっと気が付いたかな

子どもの頃はなんでもへっちゃらで読んでいたけど、大人になってきていろいろ受け入れ態勢が狭まってしまってるのを実感しているんだ最近

だからねえ、絶対好きってわかってる作家さんの新作を読むか、これまで読んだ本のお気に入りの再読が増えている

悲しいような、自分の築いてきた居心地の良い空間を守っている作業なような、複雑な気分ですね

 

でもお気に入りがあるってことはいいことだ

これまでたくさん読んできたことが居心地の良い空間を作ってるわけだし、いざとなったら逃避できますからね

気の合うファンタジーがそばにいるって思うとちょっとがんばれそうな感じする