ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

ひそかな目標が叶ってソワソワしている

診察日

早く寝たはずなのに起きるのがつらくてちょっと不調のまま仕事しました

力がいる作業に苦労したのでただ肉体的な疲労が積もっているのかもしれない

暑くて布団を肩までかけずに寝たからそれも関係あるのかな

不調でもできるんだからいいじゃないか

疲れてるかもしれないとわかったから寝るなりエネルギー補給するなりしてくれ

 

今日は電車がやけに空いていてゴールデンウィーク明けが関係あるのか知らないけど不思議に思いながら診察に行った

心理士さんと自分を認められるかどうかという話をしてて、それは今後どうやって生きていくのかっていうのにつながるんだけど、これまでは漠然とした理想があってそれを実現できなかった自分が認められなくて苦しんでいたのが、多分今は理想っていうほどのものはなくて死ぬまで生きることしかできることないなって考えになっている

それでいいと思える日もあるしそれじゃだめだと思う日もあるけど、それでいいと思える日があるなら十分だよと心理士さんは言ってました

この頃、本を読むことばかり書いてるのは本当に本ばかり読んでいるからで、取り繕っていない自分に戻ったような感じなのです

調子がよかろうが悪かろうが息をするように本を読むことができて、本を読んでるだけでいいなら生きててもいいんだけど、と思う

心理士さんはそれでいいんだよと言ってた

生きる意味なんか自分で決めるしかないからなとも言ってて、前にも何回か同じようなことを言われたことがあるはずなのに今日はやたらとしっくりきてびっくりしている

今の自分なら生きる意味を自分で決められるからかな

本を読むために生きているでいいんだと思ったら急に力が抜けた感じ

 

主治医にはぜんぜん違う話をして、がんばれないなら生きてる意味はないのかということを考えていると言ってみた

これも本当のことで、本を読んでいない時間は生きてることの意味とか考えてる

「がんばる」という言葉の捉え方次第だと主治医は言ってまさにその通りで、私が思うがんばるっていうのは常に現状以上のものを求めるってことだから、今以上がんばれないと思うなら生きてる意味がないっていうことになる

今できていることをがんばっているということに捉えられたら生きられるってことでもある

一人暮らしして生活を破綻させず、最低限ではあってもできる仕事をしてお金もコントロール可能な範囲にあるというのは以前の自分を思えばかなりがんばっているはず

できていることが一瞬にして最低ラインに変わってしまうのが私の考え方で、それでは永遠にゴールがないのもわかっているんだけど、もっとがんばらないと生きる意味がないとなっちゃうんだなあ

話しながら自分は強欲で傲慢なんだなあとは思った

 

主治医は私の考えてることを命題と言って、哲学者だねと評価(なのか?)してました

昨年は哲学みたいなことを考えるねと言われてたので哲学者に進化したな

その一言でひそかな目標がかなった気がした

ずっと十何年も、いやもう二十年かな、生きる意味やら価値やらそれがあるのかないのか考えていて、本気で哲学者になりたいと何度も思って、自称ならいくらでも言えるよなあとかも考えてたんだけど、主治医からはっきりと哲学者だと言われたのでひとりの人には認められたんだって嬉しかったです

生きる意味を考えること自体が悪というか、そんなことを考えても答えは出ないと思う自分もいるんだけど、考えることは悪いことじゃないと言われたのも救われた

考えて命を危うくするところまでいくのはやめてほしいとも言われたので、次の目標は考えることと現実を生きることのバランスをとることかな

自分なりの言葉で考えて納得しなくちゃ生きられないんだからそうしてやるとずっとひとりで考えてたのに、今日は心理士さんにも主治医にもそのことを肯定されてしまってびっくりしてふわふわしてる

次のステージに片足突っ込んだのかもしれないと思うとソワソワするな

まああまり期待せずできることを粛々とやってコンディションを維持することだね