ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

真面目すぎる弊害をようやく思い知る

さて、毎日の献立の改変をするぞと考え始めたのはいいけど、どうにも正解にこだわってしまっていけない

研究されてこれがいいと言われてることや、実践してこれがよかったと言ってる人がいることや、あちこちに転がっている情報を一旦取り入れて考えようとしてみると、自分に合っているかが途中からすっぽ抜けてしまう

こと食べることに関しては下手に知識があって、成功体験も失敗したことも経験として残っていて、それゆえに視野が狭まってしまうって感じがすごくする

世間にあるいいとされるものと、自分のなかで許せることと、どちらも満たしてなくてはいけないという強迫観念のようなものが湧いてきて、それが今の自分に合っているのかっていう視点がどこかにいってしまう

自分の経験で良かったことも悪かったことも、その時だったからそうなったわけで、今この年齢で生活で同じ結果になるとは限らないはずなのに、こういうふうに文章に書いてみないと到底そんな境地には至れない

 

栄養バランスがとれてエネルギー量もそこそこ満たしていて、なんて考えていたら究極食べるのが嫌になった

そもそも世間で言われてる正解の通りに食べられるわけがないのに、無理やりそれに合わせようと自分の許容範囲内で献立をひねり出そうとするから、もう食べるの面倒だってなるんだよ

過食しないようにと思ったら「正解」に近づかないといけないと短絡的に結びついて、真面目に真面目に考えようとしてしまう

真面目過ぎるというのは母が私のことを評するのに使う言葉だけど、今日は身をもってその弊害を思い知りました

なんだって過ぎるのはよくないんだよなあ

 

食べることに関しては主治医と心理士さんとで意見が分かれている

主治医は過食しないように毎日の食事を工夫するべきだと言って、心理士さんは食べることに関しては波が大きいから拒食も過食もやむなしと受け入れるべきと言う

どっちもわかる

どっちも受け入れられる

だけど両立ができない

こんなに長い間考えて実践しても食べられる時期と食べられない時期はどうしたってやってきて、そうだとしたら自分がラクになる考え方は心理士さんが言うことが近いんだろうなあとは思っている

主治医の言うこともまるきり無視するわけにもいかなくて、ここでも真面目過ぎるがでているような気がするが

 

食べないっていう判断をしてしまったら体調もメンタルもなにもかも崩れていくのはわかりきっているので、真面目過ぎる考え方でそうなるなら考えるのやめようと思った

献立改変は棚上げです