ふつうじゃなくても生きられるか

病んでる日記・ASDで双極性障害の人が日々考えること

曖昧な表現でパニック

診察日

今週はやさぐれを極めていて、昨日の夜まで診察なんか行くもんかと思っていたが、結局行った

えらいと思う

 

もともと曖昧な表現をされると、返事に困る・行動に困るというのは自覚していた

主治医や心理士さんと話すときも、主語や目的語を省略した質問をされると混乱する

だいぶ成長したから返事をする前に「その質問は○○について?」と訊く

ちなみに会話の流れで主語や目的語が省略されているから、定型発達の方からするとなぜそこを確認するんだと思われそうだが、分からないものは分からないので許してくれ

この頃、心理士さんに「がんばらないといけないことはある」とか「嫌なことも受け入れなきゃいけない」とか言われることが多くて、すごく嫌な気持ちになっていた

今日、なんで嫌な気持ちになるのか判明した

 

「がんばらないといけないこと」「嫌なこと」=表現が大雑把すぎる

がんばらないといけないのはわかる

だけど「なにを」「どこからどこまで」「どれくらい」がんばるのかがさっぱり分からない

考えても考えても分からなくて頭がショート

パニックになった結果、語彙力と表現力を失う

「やりたくない」「できない」「死にたい」しか言えなくなる

 

今日の面談で「自分でがんばるところはがんばってもらって」と言われたとき、やっと自分の中で上に書いたような現象が起きていることをとらえた

いやあ、長かったね、ここまでくるのに

「もうがんばれない、がんばりたくない」としょっちゅう言っては、「視野を広く持て」と返されてコレジャナイ感を抱えていたけれど、やっとわかった気がする

視野を広く持つことも大事なんだと思う

その「広い視野」は自分で納得したものじゃないと意味ないとも言われた

だけど「もうがんばれない」と言ったときに、小さい一歩でも具体的にヒントをくれると大変助かるんだな

甘えてるのかもしれないけど

「もうがんばれない」と伝える時は、散々考えて試した後だからヒントくらいくれよ

 

パニックで語彙力と表現力を失うメカニズム

面談中に分かって、帰りの電車でようやく言葉にまとまったからまだ誰にも伝えられてない

次の診察では言えるように準備する

 

やりたくない・できないは、本当にそうなんじゃなくて「なにを」「どこからどこまで

」「どれくらい」すればいいか分からないから、そう言ってしまう

本当はがんばれるところはがんばりたいよ